UNICEFレバノン事務所 杢尾雪絵代表インタビュー【前編】

インタビュー
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この記事は、UNICEFキャリアセミナー 『政府機関、民間企業、国際機関で勤務した私が考えるUNICEFで働く魅力-UNICEFレバノン事務所代表 杢尾雪絵氏にボイス・オブ・ユース JAPANが聞く』において、VoYJメンバーと杢尾さんが対談を行なった時の様子をまとめたものです。

国事務所の代表を勤めながら、一児の母でもある杢尾さん。お仕事の内容に始まり、子ども・ユース時代について、UNICEFでのお仕事を始めるまでの経緯、ワークライフバランスについてなど、様々なお話をしていただき、また最後にはユース世代への力強いメッセージもいただきました。

前編では、お仕事の内容や、UNICEFで働くことになったきっかけ、やりがいをご紹介します。

 

まず、杢尾さんが現在されているお仕事の内容について簡単に教えてください。UNICEFの国事務所の代表というのは、どのような立場なのでしょうか?また、レバノン事務所で代表として担っているお仕事は、具体的にどのようなものですか?

UNICEFは子どもの権利を守る機関ですから、母子保健、教育、子どもの保護、青少年に関する活動、水と衛生など、いろいろなセクターで多岐にわたって活動しています。日本でも持続可能な開発目標(SDGs)のことがいろいろと言われてきていますけれども 、まさにSDGs達成に貢献すべく、UNICEFは広い分野で活動しています。

UNICEFでは、現場主義というふうによく言われますけれども、私の場合もずっと本部ではなく国事務所で活動してきました。国事務所の代表職は、幅の広いUNICEFの活動を統括して、いろいろな場面で職員を代表して仕事内容を皆さんに伝えたり、交渉したりする立場です。

加えて、UNICEFの活動は分野的に多岐にわたっているだけではなく、さまざまな人たちと一緒に活動にしています。例えば今私が働いているレバノンでは、人道援助の一環として、シリア難民の子どもたちが学校に行ったり、安全な水にアクセスしたりできるようにするため、子どもたちに直接関わる人道支援をしています。その一方で、人道支援だけだと付け焼き刃の支援になってしまうので、国の制度づくりや法改正など、国の制度を変えられるような仕事をしています。

実際、私が担っている代表職では、政府高官などとの協議や、国家委員会への出席・発言など、政策提言が大きな仕事になっていますし、一方で子どもたちへの事業をするわけなので、現場施設も含めて手が届く範囲で子どもたちと直接関わるようにもしています。「赤ちゃんから大臣まで。」というふうに形容されることもありますが、まさに現場にいると赤ちゃんにも会うし、政策提言の場では大臣にも会うという仕事内容になります。

ただ、仕事はそれだけではありません。他の機関との調整も大切な仕事です。例えば、国連には他にもいろいろな機関がありますし、世界銀行などのIFI(国際金融機関)、現地に入っているNGOなどとの調整をすることも、非常に重要となります。さらに、内部の人事調整も代表職の非常に大切な仕事です。リクルートだけでなく、内部職員のケアとサポートにも大きく重点を置いています。大変な状況下で多くの職員が働いていますから、職員一人一人の状態が常に良く、チームとしても覇気が高く、一体となって働けるような環境づくりを心がけています。

 

次に、杢尾さんが国際協力の舞台へと進むまでのお話をお聞かせください。子ども時代からユース時代、特に大学時代にはどのように過ごされていましたか?また、大学卒業後、多様なキャリアを積んでこられていますが、それぞれ、その道に進まれたきっかけや決め手を教えてください。

正直申し上げて、子どもの頃や学生の頃、国際協力には全く興味がなくて、まさか自分が国連機関で働くとは露ほども思っていませんでした。また、私が育った時代は日本に外国の方も少なかったですし、国際協力・国際援助に関する私自身の知識は皆無だったといって良いと思います。

私が海外に出るきっかけとなったのは、実は女性差別です。私は大学を卒業した後に、都市計画のコンサルティング会社に就職しました。とてもやりがいのある仕事で、ずっとその仕事を続けていきたいと思っていました。女性の先輩もいましたし、将来的に仕事に関わる技術をどんどん高めてキャリアアップしていこうという気持ちでいました。しかし当時、私は20代の女性ということで、私よりも経験の少ない男性が、男性というだけで私より重視されてしまうという場面を経験し、男性と女性の格差を強く感じました。そのため、私はこのような格差を是正するために、JICAの青年海外協力隊に応募しようと決めました。 その当時は、私は英語もできませんでしたので、2年くらい海外に行って、語学力を身につけるなどして日本に戻ってきて、それからキャリアアップしていくのが良いのではないかと考えていました。

 

そうだったんですね。小さい頃から国際協力に興味をお持ちだったのかと思っていたのですが、女性差別がきっかけだと伺って驚きました。それでは、学生時代やユース時代を振り返って、私たちユース世代に対してアドバイスなどあれば教えてください。 

そうなんです。いろいろと深く話そうとすると長くなってしまいますけれども、私はユース世代の皆さまに3つメッセージがあります。

1つは、何か壁に当たった時に、それにめげてしまうのではなく、それをバネにすることです。クリティカルシンキングを心がけて、自分が置かれている状況に疑問を持つことも大切です。目の前にある壁を乗り越えていくにはどうしたらいいのか。世間一般で言われている枠に囚われずに、次にやるべきことは何かを考えてみてみると良いと思います。

2つ目は、好奇心です。私は青年海外協力隊に応募した当時、英語もできない、外国のことも国際協力のことも何も知らない、でも「自分が何かしなくてはいけない」という指向性があったんですね。それが私の大きな好奇心でした。自分が知らない世界をもっと知ってみたいと思っていました。

最後に、リスクを回避しないということです。日本の若い皆さんはどうでしょうか。日本はやはり今でも終身雇用制度が主流です。国連での仕事は、終身雇用制度ではありません。それどころか、国連職員として非常に長い経験を積まない限り、長期契約になることはないのです。自分の安定性を重視してしまうと、どうしても及び腰になってしまいます。私が若い皆さんに言いたいことは、もし国際協力に興味があるのなら、リスクを回避せずに、多少のリスクがあっても頑張ってチャレンジするという気持ちでいて欲しいということです。

また、経験的には、学校を卒業してすぐ後に国連職員になる必要はありません。国連職員に興味のある人のなかには、もう既に社会人という方もいるかもしれませんが、UNICEFに限らず国連機関というのは、いろいろな経験を重視しているので、どの年代でも国連で仕事を見つけることは可能です。大学院で修士号を取ってすぐに国連に入らなければいけないのではないかと思っている人がいたら、それは間違いです。むしろ、NGO、青年海外協力隊、国連ボランティアなどを通した開発途上国での経験があればあるほど、国連機関での仕事につける可能性は逆に高くなると思います。それから民間企業、政府機関で働いている方々も、むしろそうした経験をもとにして、国連機関で働くことを考えてみても良いのではないでしょうか。

 

実際にUNICEFで働くことについて伺います。UNICEFで働く原動力や醍醐味、やりがいは何ですか?

世界にはいろいろな状況で暮らしている子どもたちがいます。例えば、トップ画像に写っている子どもたちは、笑顔で明るい表情をしていますが、実はこの子どもたちはシリア難民で、とても過酷な状況の中暮らしています。私が国際協力に興味を持った一つの大きなきっかけは、初めて日本を出て、青年海外協力隊に参加して、途上国の現状を知ったことです。当時私は28歳で、大学を卒業して何年か仕事をしてからの青年海外協力隊への参加でした。ですが、本当に私は無知だったんですね。そのとき私は初めて海外で仕事をして、貧困格差、社会格差、人種問題、地方と都市での格差、いろいろなレベルでの格差を目の当たりにしました。私が青年海外協力隊で仕事をした国は、南の島のフィジーでした。渡航前に日本で思い描いていたフィジーは、綺麗な海に囲まれているリラックスした観光国というイメージでしたが、実際自分が渡航して目にしたのは、そういった格差で苦しむ子どもたちでした。「どうしてこんなに格差があるのか。」ということに、大きな疑問を持ったんですね。

UNICEFで勤務をして25年以上になる今でも、「世界にはどうしてこんなに格差があるのか。どうして人種や性別による差別があるのか。私たちは、差別や格差のない社会を作っていく必要があるのではないか。」という、当時私が感じた素朴な疑問が大きな原動力になっています。まさにUNICEFの活動は、そうした格差を是正するための活動だと考えていただいて良いと思います。私はUNICEFに入る前、大学院で修士号を取る前に、国連ボランティアとして難民キャンプでの経験もしています。その時に会った子どもたちのキラキラと輝く目を見て、「過酷な状況で暮らしているのに、こんなにも子どもたちは頑張っているのだ。」と思いました。その時に持った私の信念というのは、今にも続いています。

ユースの皆さんにわかって欲しいのは、国連の仕事において、ニューヨークやジュネーブなどにある本部での仕事はごく一部だということです。先ほども現場主義と言いましたが、UNICEFの職員の8割以上は、現場のいろいろな状況下で仕事をしています。治安が悪い国もたくさんありますし、医療・衛生分野が発達していない国もあります。例えば今私が勤務しているレバノンでは、日本と比べて新型コロナウイルスの感染率は約20倍です。そういった国、非常に多様な状況の中で仕事をするのが、私たちUNICEFの仕事だと考えていただければと思います。

 

UNICEFでのお仕事を始める前に、建築事務所であったり、JICA青年海外協力隊であったり、難民キャンプでの国連ボランティアであったり、さまざまな経験をされたと思うのですが、UNICEFでのお仕事はどのようなところが「特別」だと感じていますか?これまでのお仕事とUNICEFでのお仕事との違い、また、これまでの経験が、UNICEFでのお仕事にどのように生かされているのかをお聞かせください。

先ほどお話ししましたように、私の場合は初めから「UNICEFで働きたい。国際協力の仕事がしたい。」と思っていたわけではありませんでした。ですから、大学を卒業した後に、都市計画の仕事や、青年海外協力隊、国連ボランティアを経てUNICEFに入りました。

まず一つ大切なことは、私が経験をした仕事は全て大きな糧になっているということです。ユースの皆さんの中にも、「今の勉強や仕事は、UNICEFの仕事につながるのだろうか。」という疑問を持っている方がいらっしゃるかもしれません。ですが、多様な勉強や仕事は、あらゆる意味で一つ一つ糧になりますから、絶対無駄にはなりません。例えば、私は「調査・企画・施行」というプロジェクトのサイクルを、都市計画の仕事を通して学びましたが、このサイクルは今取り組んでいる事業にとても生かされています。さらに、青年海外協力隊での開発途上国における初めての現場経験や、難民キャンプでの国連ボランティアの経験で、国連機関がどのように仕事をするのかを知れたことは、今とても役立っています。ですから、今皆さんがしていることを一つ一つ大切にしていくのが良いと思います。

私がUNICEFでの仕事を続けてきたことへの一つの大きな理由は、「どうやったら格差や差別がなくなって、世界が変わっていくのか。」という疑問に対して、UNICEFでの仕事がその答えの一つとなり、社会に貢献できると思ったからでした。実のところ、私はジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)時代、「私がやりたいことは本当にUNICEFでの仕事なのだろうか。」という疑問を抱いたことがあります。なぜなら、UNICEFでの仕事はある意味では官僚的で、私はNGO職員のように、もっと現場に近い仕事がしたいのではないかと思ったからです。それでも最終的にUNICEFに残ったのは、UNICEFが国家政策や制度づくりという業務を通して、非常にマクロな影響を社会に対して与えられる機関だからです。つまり、直接子どもたちに支援をするだけではなく、国の制度づくりにも関わることができるという魅力があったのでUNICEFを選びました。ですがユースに皆さんには、焦らずに、ぜひいろいろな分野で、いろいろな企業・大学で、いろいろな勉強をして欲しいと思います。そのような経験をしてからでも、絶対に遅くはありません。今やっている一つ一つのことを、ぜひ大切にしていただきたいと思います。

 

いかがでしたか?
後編では、ワークライフバランスやユース世代へのメッセージをご紹介します。
お楽しみに!


 

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