学校ってなんだろう

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僕は中学3年生のときから本格的にボランティア活動を始めました。その時からずっとお世話になっているところがあります。そこでは小さい子どもたちとその親御さんをつなげるために活動しています。そこで僕は一緒にお話をしたり遊んだりしています。ここにはたまにいろんな国から留学生が来ます。この間は台湾からの留学生が来ました。その時改めて感じたことがあります。

日本の子どもたちは積極的ではないという現実

台湾からの留学生に対して質問があるかを呼びかけたところ全くみんな手を上げることができませんでした。みんな恥ずかしがって聞くことができなかったのです。台湾からの留学生は少し戸惑っているように見えました。ではなぜ子どもたちは質問に対して恥ずかしがるのでしょうか。僕は次のように考えました。子どもたちは本当にいろんなことを見ているし、敏感に感じ取ります。つまり、自分より大きい人の影響を受けやすいのです。では、まず子どもたちにとって1番身近な大人は誰なのでしょう。それは親ではないでしょうか。子供が積極的に発言しない親は、積極的ではないことが多いと感じます。では、なぜ親は積極的ではないのでしょうか。子供がいるからでしょうか、大人げないと思うからでしょうか。僕はこの「親が積極的でない」という状況が長い間日本では普通とされているからと考えます。僕はこれからはそういうやり方ではだめだと思います。どこから変えていくかといえばそれは学校教育だと思います。

日本の学校教育が抱える問題

日本の学校教育では量や課題をこなすことがまだ多く、結果ありきな部分がまだ残っています。ただただ成果をみんな均等に残していればそれでよく、それにあっていなかったりずれていると、怒られたり、マイナスな感情をその子に持ってしまいます。本当はその課題がその子に必要なものかも考えなくてはならないのに。子どもたちは人から言われたことを完璧にこなせることが大事と考え、枠の中でしか行動しようとしなくなります。だからこそ、イレギュラーな質問の場ではどう行動したらいいかわからなくなってしまいます。その子が親になったときは当たり前のように子供の前でそのような行動をしてしまいます。そして、その子供にもまた伝わっていってしまいます。

海外では10代の活動家が多いと聞きました。彼らは自分の中で解決したい社会問題がありそのために動くのです。大人を動かし、仲間を作り、時には企業や政府、世界をも動かす。それができるのはなぜなのか。それは彼らがしていることが特別珍しくはないからです。海外では日本の積極的が「普通」だからなのです。子どもたちが全員手を挙げて我先にと質問攻めにする光景も珍しくはありません。だが、日本では子どもたちの中で質問してはまずい雰囲気が流れています。その雰囲気を作っているのもまた大人だと思います。

もし、質問できる場に大人と子供が一緒にいたならば、僕はこうするべきだと思います。

年が上の人からこそ手を挙げるべきだと。最初にも言ったとおり子供は本当によく大人を見ています。大人の良い行動も悪い行動も真似をしたがります。だからこそ、大人は親はこうなってほしいという行動を自分自らやっていかなければならないのではないでしょうか。

山本五十六の言葉にこういうものがあります。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ。」

僕は教育はこういうものだと思います。


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