音楽とともにあるということ

キセツノトピック
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幼稚園生のとき、歌を歌うのが好きでした。幼稚園で習うわらべうた。大好きな番組の主題歌。いつもいつも何かの歌を歌っていました。

 

小学生のとき、ピアノを習い始めました。毎日こつこつ練習するのは得意ではなかったけれど、自分の手で音楽が奏でられていくのが大好きでした。音楽の授業でリコーダーを習い始めると、どっぷりはまっていつも休み時間はリコーダーを吹いていました。

 

中学1年生のとき、吹奏楽部に入りました。担当楽器はクラリネット。クラリネットの柔らかな音、そしてなにより、皆で一つの音楽を作っていくという感覚が大好きでした。

 

ずっとずっと、音楽が好きで音楽と一緒でした。

 

でもある日から聴覚過敏という症状に悩まされるようになりました。

 

中学3年生のとき、ある日突然、音が刺さって響いて聞こえてくるようになりました。大きな音を聞けば鋭い頭痛を感じ、人混みなどざわざわした場へ行けば気分が悪くなり帰ってからもぐったりしてしまう。検査しても特に異常は見つからず、ただ耳栓をつけながら耐えるしかない生活が始まりました。

 

先生が黒板に文字を書く音。

チャイムの音。

休み時間に友だちが騒ぐ声。

食器を洗う音。

掃除機の音。

テレビから流れてくる音。

そして、

楽器の音。

 

今まで当たり前だった音が突然凶器となり、音楽との付き合い方は大きく変わりました。

安心して聞ける曲は数曲で、その曲も楽しむためでなく他の音に耐えるために聞くようになりました。大好きだった吹奏楽は一番遠いものとなってしまい、楽器ケースを開けることすらできなくなりました。

 

音のせいで感じる日々の痛みと、周囲の人に自分の感覚を理解してもらえない苦しさで、もう聞こえない方がいいと思ったこともあります。

 

それでも、

自分に合った耳栓を見つけて、

周囲の人が協力してくれるようになって、

自分の限界をわかって少しは無理ができるようになって、

聞こえ方は元のようには戻らなくても、少しずつ少しずつ大丈夫になっていきました。

 

一度は距離を置いた音楽とも、少しずつ距離を縮めていきました。前のように自由に音楽を奏でることはできなくても、小さな音で好きな音楽を聞いたり、体調の良い時に電子ピアノの音量を小さくして弾いたりしています。もう一度クラリネットを吹いてみるにはまだ勇気が必要ですが、時折ケースを開いて手入れすることもできるようになりました。

 

小さい頃はただただ好きだった音楽。

紆余曲折があった今、好きという言葉だけで私の音楽への想いを表現することはできないけれど、音楽に何度も救われてきたのは確かです。

 

とくに受験生のとき、甲状腺の病気になり、毎日毎日、音楽の力を借りていました。

ひどい倦怠感と息切れの中歩くために音楽の勢いを借りたり、

何かを読むことすら辛いとき、音楽を聞いて気を紛らわせたり、

受験へのプレッシャーで押し潰されそうなとき、歌詞に励まされたり、

数えきれないほど音楽に助けられてきました。

 

私と音楽との関係は決して順風満帆なものではなかったけど、

今日も音楽は私のそばにあります。

 

音楽とともにあるということ、それは私をつくる大切な要素のひとつなのかもしれません。


 

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