みなさん、シリア出身の競泳選手、ユスラ・マルディニさんをご存知ですか?
2015年の、あの感動的なニュースとともにその名前を記憶している方もいらっしゃるでしょう。
2015年夏、紛争を逃れてギリシャへ向かう人々を乗せた小型ボートが、故障し、沈没しかけました。そのとき姉たちとともに海に飛び込み、三時間半ボートを押して泳ぎ続け、20名の命を救った17歳の競泳選手がいました。シリア出身の競泳選手、ユスラ・マルディニさんです。
ユスラさんは競泳選手として、史上初の難民選手団の一員としてリオ五輪に出場し、次回の東京オリンピックに向けてトレーニングされています。また、2017年4月からは最年少のUNHCR親善大使に任命され、現在も世界の難民を助けるために活動されています。
今回はYouth×UNHCR for Refugeesプロジェクトの一環として、「VoYJこの日なんの日特別企画 世界難民ウィーク」にむけ、ユスラさんにインタビューさせていただくことができました!
VoYJではその様子を前編後編の2回に分けてお伝えしていきます。
前編となる今回は、ユスラさんに難民としてのご経験や、2016年リオオリンピックに史上初の難民選手団のメンバーとして出場した時のことなどをお話ししていただきました。
ユース時代のユスラさん
★ ユース時代はどのような生活を送っていましたか? 生活はどのように違っていましたか?
What was your childhood like? How different was life for you?
紛争が始まる前はシリアで普通の生活をしていました。良い生活でした。両親は良い仕事をしていて、母は理学療法士、父は水泳のコーチをしていました。ドイツで水泳を始めたと思われがちですが、紛争が始まる前は普通の生活をしていたのです。難民という言葉はとても重い言葉で、人々は私がドイツに来るまで何も持っていなかったと思っていますが、それは違います。
幼い頃、父がコーチをしてくれていました。水泳は自ら選んだわけではないのですが、父が泳ぐように勧めてくれました。紛争が始まると、水泳は私にとってとても重要なものになりました。泳ぐことは、紛争地から逃げるための手段でした。
Before the war started I had a normal life in Syria. A good life. My parents had good jobs, my mum was a physiotherapist and my dad was a swimming coach. People presume I started swimming in Germany, but I had a normal life before the war. The word refugee is a very heavy word, people think I had nothing before I came here but that’s not true.
When I was younger my dad was my coach, I didn’t really choose to swim but my dad encouraged me. When the war started, swimming became so important to me, it took me away from everything that was going on. Swimming was a potential avenue to get away from the war.
難民としてのご経験
★ 難民としてのご自身の経験をお聞かせください。
Please tell us about your experience as a refugee.
17歳の時、姉とシリアを脱出しました。自ら望んで逃げる人はいません。逃げるしかなかったのです。誰にも、選択の余地はありませんでした。
地中海横断がどれほど危険なものかは知っていましたが、シリアに残ることで日々直面する危機も理解していました。私たちは2015年、横断に成功した1,032,408人のうちの2人でした。
私たちはもう少しで地中海横断で命を落とすところでした。他の多くの船と同じように、私たちの乗っていた小型ボートは危険なほど過密状態で、エンジンが作動しなくなってしまいました。私たちには2つの選択肢がありました:あきらめて溺れてしまうか、何かをしようとするか――私たちが選んだのは後者でした。姉と私は水の中に飛び込んで、もうこれ以上は無理だと思うまでボートを押し続けました。3時間半泳いだ後、我々はギリシャに到着しました。他の多くの人はたどり着くことができなかったのに、なぜ私たちにはそれができたのか理解に苦しんでいます。海で溺れた人々の話を聞くたびに、私は船のロープにしがみついて必死に水を蹴っていたあの場所に立ち戻るのです。
安全な国に到着したからといって、問題がすぐに解決するわけではないことに人々は気づいていません。他の多くの人々が追放されたまま、無国籍で何年も、時には何十年も難民キャンプで避難生活を強いられている中で、私はとても幸運にも再定住することができました。しかし、安全になった途端、すべてを失ったことに気づくのです。自分の家、自分の国籍、自分のアイデンティティ。私の周りには、目的や自己意識を失った多くの難民がいました。彼らはもはや医者でも教師でも弁護士でもエンジニアでもなく、ただ難民として一括りにされてしまったのです。
My sister and I fled Syria when I was 17. Nobody really decides to flee. We just had no choice. Nobody had a choice.
We knew how dangerous the Mediterranean crossing was but we also knew the risk we faced every single day that we stayed in Syria. In 2015 we were two of the 1,032,408 people who made the crossing.
We almost didn’t survive the Mediterranean crossing. Like so many of the boats used for the crossing, ours was dangerously overcrowded and the engine stopped working. We had two choices: either give up and drown or try and do something about it which is what we did. My sister and I jumped into the water and pushed until we could push no more. After swimming for three and a half hours we arrived in Greece. I struggle with the story, to understand why we made it when many others didn’t. Each time I hear about a group drowning at sea, it takes me back there, clinging to the boat’s rope, desperately treading water.
People don’t realise that the problems don’t instantly stop when you reach a safe country. I am so fortunate that I have been able to resettle when so many others remain displaced, stateless and stuck for many years, sometimes decades, in a refugee camp, but once you have reached safety you realise you have lost everything. Your home, your nationality, your identity.
I saw so many refugees around me that had lost their purpose and their sense of self. People were no longer doctors or teachers or lawyers or engineers, they were just labelled refugees.
難民選手団の一員として
★ 史上初の難民選手団の一員として、リオ五輪に出場した時の気持ちを聞かせてください。
How did you feel when you competed at Rio 2016 Summer Olympics as a member of the first-ever Refugee Olympic Team?
最高の気分でした。シリアで紛争が勃発したとき、私は泳ぎ続けていました。私は生活が普通に続いているかのように振る舞おうとしていましたが、紛争はひどくなり、私はもはやプールを使うことができなくなりました。2年間トレーニングができず、オリンピックで泳ぐという夢は破られていました。
ドイツに来て1年後、私は世界中の何百万人もの難民の代表としてオリンピックに出場する機会を得ました。難民選手団の一員になれたことは、とても光栄なことでした。それは、私たちが難民として提唱しようとしていること、つまり、私たちは重荷ではなく、社会に貢献できるスキルと才能を持った人々であるということを証明してくれました。
It was the greatest feeling. When the war first broke out in Syria I kept on swimming, I was trying to pretend life was continuing as normal, but the war got worse and I could no longer use the pool. For two years I could not train which dashed my dreams of ever being able to swim in the Olympics.
After a year of being in Germany, I got given the chance to represent millions of refugees all over the world. To be part of the refugee team was such a great honour – it demonstrated what we as refugees try to advocate – we are not a burden, we are people with skills and talents who can contribute to society.
★ 難民選手団では、ご自身とは異なる言葉や文化を持つ方々と交流する機会がたくさんあるかと思います。お互いを理解する上で、大切だと思われるのはどんなことですか?
You must have many opportunities to interact with people from diverse cultures who speak different languages than yours in the Refugee Olympic Team. What do you think the most important thing to understand each other when interacting with people from different backgrounds is?
とても恵まれたことに、私はUNHCRとの活動を通して、様々な言語を話し様々な文化を持つ、多様なバックグラウンドの人々と出会うことができました。また、シリアからドイツに移ってきたときには、全く新しい文化に馴染むことを受け入れなければなりませんでした。確かに難民選手団に参加している全員が異なる国の出身であることは、私たちのチームをまたとないものにしています。しかし、私たちは皆、同じような目標と夢を持ち、異なる信念や文化を尊重しています。そして一番大切なことには、私たちは皆同じ目標に向かって団結しています。
Through my work with UNHCR, I have been lucky enough to meet people from so many different backgrounds, who speak different languages and come from different cultures. I also had to come to terms with settling into a whole new culture when I moved to Germany from Syria. Although we all come from different countries on the Refugee Olympic Team which makes our team unique, we all have similar goals and dreams, we are respectful of our different beliefs and cultures, and we are all united in the same goal and that is the most important thing.
いかがでしたか?
私は、「安全になった途端に全てを失ったことに気がつく」というユスラさんの言葉にハッとさせられました。「難民」と一括りに考えてしまうことは、その人が持っている人格や才能までをも否定してしまうのではないか、そう考えさせられます。
そんな状況の中、同じ目標に向かって団結した難民選手団の一員として、難民についての認識を変えようと取り組まれているユスラさんの姿にとても勇気づけられました。
後編では、UNHCR親善大使としての活動についてや、現在のCOVID-19影響下でのご生活、ユスラさんの今後のビジョンなどをお聞きします。最後に若者へのメッセージもいただきました。お楽しみに!
<参考>
https://www.yusra-mardini.com
VoYJ運営部員、東京大学UNiTeメンバー。小説を書くのが好きで、将来の目標は小説の力で平和な世界を作ること。「作者は読者が納得したのであれば、どのような解釈であれそれでよしとしなければならないのです」という祖父の言葉を座右の銘に、日々修行しています。広島県出身で、地元の自然豊かな風景が自慢。