ミャンマー滞在で気づかされた社会の矛盾

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「全国の学校で卒業式開催規模の縮小が決定」

Yahooニュースで記事を確認し、当時、卒業を間近に控えていた筆者は肩を落とした。約8時間のフライトを終え、ようやくミャンマーの都市・ヤンゴンに到着したというのに、いきなりショックなお知らせが飛び込んできたからだ。日本でこのような決定がなされていた時期、筆者は約一週間、とある教育系NPOが主催するプログラムに参加するために、ミャンマーへ渡航していた。アップサイクル、児童労働と教育、ロヒンギャ問題…さまざまな分野の問題に取り組まれている社会活動家の方々のプレゼンテーションを聞き、それについて他の参加者と議論をする。地域の人にインタビューを通して課題を発見し、解決策をまとめたプレゼンテーションをするところまでが、プログラム中に与えられたミッションだ。勿論短期間で仕上げたため、詰めなければならないところは多々あるが、ある程度の知識を身に付け、その問題について考え続けていた筆者は、この国の社会問題について少し学んだ気でいた。“ミャンマーという国が抱えている現実をこの目で確かめたい” そんな想いで渡航し、プログラムを終えた安堵からか、多少満足していたのかもしれない。しかしこの時、最後の最後まで本当の意味で、ミャンマーという国が抱えている問題が何なのか、そしてそれらが我々に問いかけているのは何なのかということを、少しも掴むことはできていなかったように思う。

 

最終日、プレゼンテーションまでのすべてのプログラムを終えた参加者たちに、一晩の自由時間が与えられた。筆者は他の参加者たちと夕食をとるため、チャイナタウンへと向かった。

発展途上国ではよくある光景のようだが、こういった場所では、多くの子供たちが一軒一軒レストランを歩き回り、花や食べ物を売ったりしている。貧しく、その日その日を生きるのに精一杯であるから、子供たちも働かなければならないのだ。そういった売り方をされることはよくあるので、とにかく無視をすれば良い、と経験のある人に聞いたことがあった。しかし、いくら事前に聞いていたとしても、初めて途上国に訪れた筆者にとって、目の前の子供を無視することは容易ではなく、非常に心苦しいことであった。

 

学校には行っているのだろうか。

食事はどうしているのだろうか。

安心して眠れる家があるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、花を売りに来た少年に気づかないふりをすることは、決して容易ではなかった。高い値段でもないし、花を買おうかとも考えた。周囲の人はどのように対応しているのだろうと気になり、他の参加者に意見を求めた。とある参加者の方は、「その商品に対価を払う価値があると思った時だけ、買うようにする」と言っていた。慈悲の心から購入することは、相手と自分に上下関係を認めているのと同じだ、ということだ。なるほど、そのような考え方があるのかと思ったが、完全に納得することはできないままでいた。そのようなことをこちらが思おうと思うまいと、目の前にいる子供の生活が厳しいことに変わりはないからである。もやもやとした気持ちが残ったまま食事を終え、レストランを出た。まだその少年は私たちの後についてくる。“Don’t come!” 一人が言い放ち、その子供は付いてくるのをやめた。残酷な現実を突き付けられたのは、自分自身である気がした。その子がどんな表情をしていたか、振り返って見ることはできなかった。

 

一旦ホテルに戻った後、ミャンマー人の友人に誘われ、22時半くらいからバーへと向かった。ミャンマーでは18歳以上の飲酒が認められているらしい。飲酒はしなかったがその分、その場の雰囲気を鮮明に記憶することができた。

店内は日本で見られるイタリアンレストランのような内装で、売られている食事や飲み物は、それまでのものと比べると非常に高価であった。地元の人が通うには結構な値段であるので、たぶん国内でもそれなりに裕福な人が来る場所なのであろう。そんなところで1時間ほど過ごした後、友人たちと一つ上の階にあるナイトクラブバーに向かった。もちろん、そのような場所に行くのは初めてであったから、どんな世界なのだろうと、少し緊張していた。なんとも、禁じられている大人の世界に、自分自身が足を踏み入れようとしている気がした。

 

中に入るとすぐに、赤と緑と青のライトがぐるぐると回りながら光を放つのが見えた。大音量で流れる音楽が体に響き、思わず耳を塞いでしまったが、中にいる人たちはみな楽しそうに踊りながらお酒をたしなんでいる。どうしたらこの音量に耐えられるのだろうと思いながら、しばらく周囲を見渡していた。街中で見かける人とは打って変わり、誰もがきれいな洋服を着ている。後程合流した現地の友人も、プログラム中とは違った、いかにもイケているといった感じの服を着ていた。

 

「ここは本当にミャンマーなのだろうか」

 

そう戸惑いながらも、この場に来たことをとても楽しんでいた。ピンポンゲームを観戦し、戦っている友人を応援する。全試合で勝利した彼と一緒に来たことを少しうれしく思いながら、気が付けば自然と場の雰囲気に溶け込んでいた。

 

午前1時を回った頃、次の日の朝が早いので帰ることにした。Grabという、東南アジアでは主流のアプリでタクシーを呼びつけ、ホテルへと向かった。少し酔った友達に肩を貸しながら窓の外を眺めていた。深夜のヤンゴンは、とても静かだ。紺色の空を背景に、時々街中に見える金色のパゴダは、ずっしりと荘厳な雰囲気で、まるでミャンマーの夜を守っているようだった。そんな美しい景色に見とれていると、車が赤信号で止まった。ずっとこの景色を眺めていたい、と思っていたそのとき、二、三人の人影がこちらの方に近づいてきた。何だろう、と目を凝らしてよく見ると、五、六歳の子供が二人いた。後ろには、それより幼く見える子どもが一人いる。彼らの手にはジャスミンの花があった。なぜなら、夕食の時の少年と同じように、この子たちも売りに来ていたからである。大人でも眠りについているような時間帯に、小学生にもならないような子供たちが暗い町を歩き回り、時折走る車が止まっては花を売りに来ている。これがミャンマーの実態なのだ。それまでの1週間では感じられなかったような厳しい現実を急に目の当たりにし、筆者は言葉を失った。青信号になるまでのその少しの間に、友人がその子から花を買っていた。友人は子供から受け取るとその花をくれた。 “They are so poor.” 彼はそう言った。

 

“Poor” 

 

筆者にこの言葉がこれほど重く響いたことは、未だかつてなかった。同時に、今まで自分がクラブにいたことが罪に思えてきてしまった。ドリンク一杯を我慢すれば、この子供たちにとって何日分の生活費になるのだろうかと思った時、なんとも言えない気持ちになったのである。

 

自分たちの生活のちょっとした贅沢を我慢すれば、何人の子供の生活を、教育を支えることができるのだろう。急に、それまで当たり前に見えていたことがおかしいと感じるようになった。高級そうなスーツやブランド品を身につけた人が言う、「平等」や「貧困からの脱却」。困窮している人達のための取り決めを行っている人たちが、いつも豪華な会場で会合を開いたり、高そうな食事をしたりするのはなぜなのだろう。

 

今となっては当然だと思われていることの1つ1つが嘘くさく感じられてくる。

 

1)アップサイクルとは、リサイクルやリユースとは異なり、もともとの形状や特徴などを活かしつつ、古くなったもの不要だと思うものを捨てずに新しいアイディアを加えることで別のモノに生まれ変わらせる、所謂“ゴミを宝物に換える”サスティナブルな考え方。(引用:一般社団法人アップサイクル協会)

写真はミャンマーで作られたアップサイクル商品。

 

2)パゴダ。当写真撮影時は夕方

 

3)ジャスミンの花。宿舎で撮影

 


 

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