交響曲第5番

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どうやら私は耳が聞こえないらしい。自分の体の事なのに「どうやら〜らしい」という文法を使うのはいささかおかしな感じもするがまあ聞いてほしい。時はさかのぼること17年前(!?)。小学校1年生の時の聴力検査で異常を指摘されたらしい。近くにあった大きな病院で、母曰く“ありとあらゆる”検査をしたそうなのだが、原因は何もわからなかったらしい。らしいらしいと連呼しているが、ちゃらんぽらんに生きていた小学1年生の記憶などはるかかなたなのである。許してほしい。こうして“難聴疑い”という何ともあやふやな診断名を抱えたまますくすくと育った私は、立派な(?)医学部4年生として臨床実習に出ることとなった。

医学部の仕組みを知らない人のために説明すると、医学部に入ると、4年生の途中まではやれ基礎医学だやれ臨床医学だとひたすらに医学知識を詰め込まれる。そして4年生の夏にある(時期は大学によって違うけど)CBT、OSCEというプレ国家試験的なものを乗り越えると、晴れて臨床実習に出ることができる。本当に大変だった。。。

医学部の仕組みがこれからの話に何か関係があるかと言われると別に関係はないのであるが、かくして私は(何度か心が折れかけながら)臨床実習生として病院に出ることになった。私の大学では大体2週間ずつ各診療科を巡っていくわけだが、耳鼻科をまわった時の聴力検査実習なる実習でありえん聴力低下が指摘された。少し前に耳垢塞栓(要は耳かきに失敗して耳が詰まってしまうこと)をしたことがあったので、それだったらいいなあ、と近くの耳鼻科を受診した。ところがどっこい耳の中はそんなに汚いわけでもないし、やはり聴力検査の結果が良くないという事で大学病院にとんぼ返りすることとなった。紹介状持参の実習は何とも奇妙な感じだった。こうしてあれよあれよという間に事が進み、なんやかんやあって結局、「耳硬化症ではないか」という事で手術が決まってしまったのである。

耳というのは外耳、中耳、内耳という3つの構造に分かれていて、中耳には音を伝えるための3つの骨(ツチ骨、キヌタ骨、アブミ骨)がある。耳硬化症というのは、要するにその3つの骨が硬くなってしまって音が伝わりづらくなってしまうという病気だ。かの有名なルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンもこの病気だったと言われている。全然光栄でもないけど。聴力検査では低音域の難聴と、2000Hzの骨導が低下する“カーハルトの陥凹”という特徴的な所見を試験の時は頑張って覚えたものだ。CTなどの画像検査にも異常が映りづらいようで、先生曰く“開けてみるしかない”そうだ。

そういえば、高校くらいの時からは左側を歩きたがっていたなあとか、大学に入ってからは左側から男子に話しかけられると何言ってるか全然聞き取れないなあとか(高校は女子高だった)、お医者さんてやたらぼそぼそ喋るなあとか(みんな聞き取れてないと思っていた)、耳が聞こえていないと思われるような出来事はたくさんあるが、片方の耳で大方はカバーできてしまう、というところが片耳難聴のムズカシイ所らしい。とはいってももっと早く見つかっていればなどと思うようなこともなく、このタイミングで見つかることがきっと運命だったのだろう。

あまり詳しいことはわからないけれど(医学生といったってちょっと医学に詳しいくらいの一般人なのである)、開けてみるしかないということは、開けてから耳硬化症ではなくて先生たちが途方に暮れるかもしれないし(想像したら少し面白いけど)、もし耳硬化症だったとしても手術の成功率は8割~9割くらいだそうだ(ネット調べ)。座学で学んでいる時は結構成功するんだなあなどと思っていたけどいざ自分に降りかかってくるととんでもない。その1割のなんと重いことか。しかもしかもその手術をしたうちの1%くらいはもっとひどい難聴になってしまうのだそう。やれやれ。

そんなことを嘆いていたら片耳難聴友達の(!?)さくちゃんが、“先輩のほうが私より補聴器の適応が広いから何とかなります”と、とても現実的な励ましをしてくれた。彼女は私より2つも年下なのに精神年齢も知識量も私とは桁違いなのである。そうは言ってもやっぱり人間悪いことばかりを考えてしまうもので。両方とも耳が聞こえなくなってしまったらどうしようという一番最悪なシチュエーションを想像してしまう日々だ。

耳が聞こえなくなったら何をしようかな。文章を書くのは嫌いではないし、物書きにでもなろうかな。あとは最近短歌にはまっているから短歌もいいな。友達とおしゃべりできなくなってしまうのは少し困る。大好きな音楽が聴けなくなってしまうのもいやだ。音のない世界はどんな世界なのだろう。きっと恐ろしく静かで孤独な世界なんだろう。それでもせめて。運命が扉を叩く音くらいは聞こえてくれたらいいな。


 

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