「2020年長崎×東京×世界:被爆と優しさを語り継ぐ」パネル・ディスカッション【前編】

映画『a hope of NAGASAKI 優しい人たち』 イベント
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原爆投下から75年。
戦争体験者が減っていく中、被爆を語り継ぐことの重要性が増しています。

現在劇場公開中の松本和巳監督の映画『a hope of Nagasaki 優しい人たち』(https://nagasaki.cc)では、これまで被爆について語ったことがない被爆者10名の平和への思いと次世代へのメッセージを綴っています。
海宝直人さんと森亮平さんによる主題歌も話題を呼んでいます。この映画の中で被爆者が語る「優しさ」をキーワードに、戦争を経験した方々の思いを、文化や芸術等を通して、戦争を知らない若者や大人に伝えていくこと、そして、平和や優しさのために一人一人にできることについて、EMPOWER Projectは、ゲスト皆様をお招きしパネル・ディスカッションを実施いたしました(映像はこちら:https://youtu.be/FkzZMeCAUCk)。

今回の記事では前後半でその様子をお届けします。

 

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【菅田】
それでは、ただ今から「2020年長崎×東京×世界:被爆と優しさを語り継ぐ」パネル・ディスカッションを始めさせて頂きます。
私は、本日司会を務めさせて頂きます、東京大学 UNiTe代表の菅田利佳と申します。どうぞよろしくお願い致します。

原爆投下から75年、戦争を体験した人々が減っていく中で、被爆を語り継ぐことの重要性が増しています。
東京大学 EMPOWER Projectは、国連創設75周年を記念し、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築く」ことを目指して、渋谷ヒカリエ「8/ATELIER」にて<“Defence/Difference” Komaba Film Festival 2020 A/W >を開催しています。

本イベントは、多様性溢れる様々な映像作品を提示し「違いの価値」と「1人ひとりに出来ること」を考えることを目的としています。
その一環として特別試写会を行っている『a hope of NAGASAKI 優しい人たち』では、それまで被爆の経験を語ってこなかった被爆者10名の平和への思いと、次世代へのメッセージを綴っています。
この映画の中で、被爆者が語る「優しさ」をキーワードに、戦争を経験した方々の思いを文化・芸術を通して戦争を知らない若者や、大人の人々に伝えること、そして、私たち1人ひとりに出来ることを考えるパネル・ディスカッションに本日はしたいと思っております。

それでは早速にはなりますが、本日参加頂く皆様に、簡単な自己紹介と、それから被爆と実相を巡る現在の取り組みであったりとか、その現状を誰がどのようにどうやっていこうとしていらっしゃるかということをご紹介頂きたいというふうに思っております。
それでは50音順になりますが、長崎原爆資料館の篠崎館長からお願いしてもよろしいでしょうか。

 

【篠崎桂子さん】
はい。皆さんこんにちは。長崎原爆資料館長の篠崎といいます。

長崎の原爆資料館は存在そのものが被爆の実相の継承というか、被爆の実相を伝える施設ということになりますので、多くの人に被爆の実相を知ってもらうために、私たちは展示であったり、イベントであったり、そういうものを通じて被爆の継承をしています。

原爆資料館の使命としては「キノコ雲の下で街や人に何が起こったのか」というものを見て頂いて、「長崎を最後の被爆地に」という思いを出来るだけ多くの人に共有をしてもらいたいというふうに思っています。

原爆資料館の展示は、被爆前の長崎の写真から始まって、被爆の実相をそれぞれ被害別に示しているというスタイルになっているのですけれども、修学旅行などでは、よくそれとセットで被爆体験講話というものを聴いて頂いております。

直接被爆者の方が自分の体験を語られるということなんですけれども、ただコロナ禍の中で、修学旅行とかがだいぶ減っているというのを、被爆者の方も凄く「被爆の実相の継承が失われてしまう」ということで危惧をされていまして、とても悔しがっていらっしゃいます。

修学旅行自体は来年は出来るかもしれないんですけど、被爆者の方は「もしかしたら来年は話せないかもしれない」というような危機感も持っていらっしゃいます。

そういう被爆者の方に残された時間がだいぶ厳しくなってきている中で、私たちとして取り組んでいる「多くの人に被爆の実相を伝える」というのと、今度は「被爆者に代わってその被爆の実相を伝える人を育てたり、ものを集めたり」というところを今力を入れています。

被爆2世・3世の方とか、あと交流証言者というご家族以外の方が被爆の体験を継承したりだとか、今、今年75周年ということで資料の収集の強化をしておりまして、それも早く集めないと「ものにまつわるストーリー」というのが聴けなくなってしまうというので、今私たちはその取り組みを力を入れてやっているところです。

資料館から、取り組みとしては、簡単にこういうことでお願いします。

 

【菅田】
ありがとうございます。
それでは次に、東京大学UNiTeでも一緒に活動している高野さん、お願いしてもいいですか。

 

【高野敦朴さん】
はい。よろしくお願い致します。
東京大学文学部で社会学を専修しております、高野敦朴と申します。
自分は長崎出身ということで今回このパネル・ディスカッションに参加させて頂いたんですけれども、自分は若者として今活動していく中で出来ること、そして何か大きいことを出来るわけではないけれども、やはり日常生活の中で、色々な会う人に長崎出身だからこそできる、何かを伝える活動をしていきたいというふうに感じております。

自分が長崎で小中高過ごしてきて、大学で東京に来たんですけれども、それまで当然のように思ってきた「8月9日」という日が、やはり東京であったり他の地域に住む人にとっては特別なことではなかったり知らない人もいたりだとか、そういうところに凄く自分はギャップが大きいことに衝撃を受けたということもあって、自分も周りの人に、1人でも2人でも、少しでも多くの人に「8月9日」であったり、長崎の被爆の話を知ってもらう、興味を持ってもらう、それについて考えてもらおうと自分は考えています。

 

【菅田】
ありがとうございます。
それでは続いて、被爆者の方々の証言を集めた『a hope of NAGASAKI』の監督であります、松本監督からもお願いします。

 

【松本和巳さん】
はい。この映像を制作しました、映画監督の松本です。よろしくお願いします。

僕はこの映画で昨年1年間かけて10名の方を取材させて頂いて、1人目の方を取材させて頂いた時から、このテーマになっている「優しさ」を感じるというか、「恨みつらみにしていない」というそういう言葉を聴いて、「あれ」と思ったところで、2人目、3人目と話を聴いていくうちに、「必ず多分きかなくてはいけないんだろう」そういうような感触を得て、今回のこの映画を作り上げてみたんです。

今までの発信は今までの発信で凄く大事なことで、でも今この「多様性」と言われていることの中で、もしかしたらもうちょっと違う感覚を持った方々がいてもおかしくないし、「いて」それは埋もれてしまっているのであれば、それはやっぱり皆さんに知って頂くということももの凄く大事なことです。

そういう思いも含めて、この映画を実際つな繋いで見たら「こんなにも共通項で皆さんが思っているところがあったんだな」ということをまた改めて知りました。

これから、やはり、我々は核兵器の廃絶も含めてもそうですけども、「平和」というこの視点の部分を、どういうふうに世代を超えて伝えていくか。

この「伝え方」というのも、先程館長が言われたように、次の世代が継承提唱していくということです。「そこのお手伝いができたらいいかな」と思ってはおります。

実際にこの映画を完成させて、横浜のある高校から、自分で調べたということでお問合せを頂いて、「長崎に来年修学旅行に行くので、その前に学生たちにこれを見せて、それで長崎を感じて欲しい」というようなことも言われました。

そういうお問合せは徐々に増えてきているという感じもあるので「そういう形でお手伝いできたら」というふうには思っています。

ですので今日は本当にありがとうございます。よろしくお願いします。

 

【菅田】
ありがとうございます。
それでは次に長崎大学の門司先生から、お願い致します。

 

【門司和彦さん】
はい。長崎大学の門司でございます。今日はお招き頂きましてありがとうございました。

長崎大学の多文化社会学部は、6年前にできた新しい学部なんですけれども、平和を目指した多文化共生社会に貢献できる学生・人材を育てたいという風に考えております。

その場合に特に、今までの平和の概念ではない新しい平和概念といいますか、平和について人々が考える時に「未来志向の平和とは何だろうか」ということを考えながらやっていきたいという風に思っております。

この松本監督の映画を見させて頂いて、非常に辛い、深い悲しみを感じた人たちが、でも恨みつらみだけではない言葉を語ってくれているということには感銘を受けました。

多分許すということはできないかもしれないけれども、それでもこういう発言があるということに私は新しい平和が見えるのではないかというふうに考えております。

今日のディスカッションを楽しみにしております。ありがとうございます。以上です。

 

【菅田】
ありがとうございました。
続きまして、吉田先生お願いします。

 

【吉田】
はい、こんにちは。長崎大学に核兵器廃絶研究センターという研究機関があるんですけれども、私はそこにきてだいたい4年目くらいです。ですので、かならずしも長崎で生まれ育ったわけではないですけれどもね。父親は長崎で生まれ育っていて、何回も訪ねてきたことはあります。そういう意味で、長崎にはご縁があるのかなと思うんですけれども。

私の研究センターは、政策分析・政策提言が多いんですね。核兵器の軍縮とか拡散とか、あるいは核廃絶に関する。ただ、その原点になるのは、被爆者の方の存在、原爆の体験であり、長崎で常にメッセージを送っている「長崎を最後に」ということの意味合いですね。ですので、学問であれ、学術的な研究であれ、政治的な議論であれ、根底にあるのは被爆者の方の体験であることは間違いないなというのは、長崎に住んでいて非常に日々感じることはあるんですね。そこは、今回の映画も拝見させていただいてそういうふうに思いました。

後々深い議論があるんでしょうけども、一点だけ感想を申し上げると、究極の破壊・非人道的な、「地獄」という言葉もありますけどね、それをそこまで人間が見てしまって、そこから命からがら生き延びて長生きされた方々の想いというのは、やはり普通の人間ではない、ちょっと次元を超えたところから、人間や世界や戦争というのを見る、というふうな感覚を身につけた方なのかもしれないなとそんな気もいたしました。以上です。

 

【菅田】
ありがとうございます。皆様、ありがとうございました。それぞれの想いを持ちながら、被爆者の方々の想いだったりとかを様々な角度から伝えていくというような活動をされている皆さんのお話を聞くことができて、すごく、私も幸せに思っております。

つづいて、松本監督の映画の中で、皆さんが今もおっしゃっていたように、被爆者の方々が語られていた言葉というものの中には「恨み」だったりとか「憎しみ」というようなネガティブな感情ではなくて、友達とか家族の大切さだったりとか、感謝の想いだったりとか、本当に「優しさ」に溢れたものであったなというように感じました。その「優しさ」というのは、「平和のためには、平和の砦を心のなかに築かなければならない」というような言葉にあるように、平和の基本になっているものなのではないかなというふうに私は想うんですが、この被爆者の方々の「優しさ」というのは、どのようにして生まれたものなのかとか、「優しさ」という点についてなにか皆様のご感想をぜひお聞かせ頂きたいなと思うのですが、先程と同じ順番で篠崎さんの方からお願いできますか。

 

【篠崎】
はい。今回映画の中で、はじめて被爆体験を語られた方がいらっしゃるということで、長崎でもいろいろ被爆の体験を語られている方っていうのは沢山いらっしゃるのですが、皆さんいろんな感情があられたと思います。今もそういう感情はあられるかと思うんですけれども、だからこそ今まであまり話をしなかったとか、自分が一番つらい体験を話すということなので、そこについてはやはり皆さん色んな想いがあられたんだとは思います。

ただ、こういう形で一番思い出したくないようなつらい経験を話してくださるのはなぜなのかと思うと、やはり、二度と誰にもこういう経験をしてほしくないという想いがすごく強くあられるんだろうなというふうに思います。だからこそ、今までもたくさんの亡くなられた方たちが被爆の実相とか、平和の発信をしてきてくださったんですけれども、話したくないことを話したり、時には自分の姿、へロイドの姿を皆さんに見せたりしてお話をされてきた。それは被爆者の方に共通した想いで、先程から言っているんですけれども、「長崎を最後の被爆地に」というようなところをみなさんが本当に心の底から思っていらっしゃる。「それを語る」ことに、それが次世代に向けた優しさなのかなというふうに映画を観て思いました。

 

【菅野】
ありがとうございます。次世代に向けた優しさというのは私もすごく感じています。
それでは続いて、高野さんお願いできますか。

 

【高野】
はい。僕も映画の方を見させていただいて、「優しさ」という部分はとくにこの映画の後半でとりあげられていて、そこにすごく新しい新鮮な視点だなというふうに感じて、すごく感銘を受けた部分ではあります。すごく感銘を受けた部分として、どうしても「原爆」「被爆」という話であると、やはり「悲惨な記憶」「凄惨な記憶」というイメージがどうしても強かった。いままでいろいろな方の被爆講話の中では、いままで色んな方がおっしゃっていただいたように、被爆者の方の想いというのを直接聴く立場であれば、次世代に向けた「優しさ」であったり、二度と戦争を繰り返したくないという深い想いから出てくる「優しさ」「慈しみ」というものを感じることができる一方で、授業や歴史だけで学ぶ部分ではどうしても悲惨さという部分だけがクローズアップされるようにすごく感じます。

実際被爆を体験された方であったり、被爆の問題に直接関わって、想いを持って活動されている方の中から出てくる「優しさ」というものをどういうふうに伝えていくか、やはり悲惨な部分がクローズアップされて、伝えていく中では最初に出てくるものではあるけれでも、そこだけではない「優しさ」の部分というのをどういうふうに伝えていけばうまく伝わるのかという部分は考えていきたいなというふうに、今回映画の方を拝見して自分の中で感じる部分は大きかったなというふうに感じています。

 

【菅田】
なるほど、ありがとうございます。それでは実際に取材をされた松本監督からもお願いします。

 

【松本】
はい。まあ、タイトルに「優しい人たち」とつけてしまっているので、そこの先入観もあるのかもしれないですけれども、実際75年という月日が経って、色んな感情をお持ちになりながらでも、そこで和らいでいくというようなことは多分あるんだと思います。それに合わせて、今回私が取材させてもらった10名の方々、実際は2名の方々は以前お話ししたことがある方々なんですけれども、その方々がリラックスしてもらってお話ししていた部分で、もしかしたらすごく本音ベース的なものがお話しできたのかなというふうに感じています。

世間話のところから見えてきた本音というもの、そこから伝えるというところで、終わったあとの皆さんの感想が、「あっ、その(『優しい人たち』というタイトルの)意味が分かった」っていう、その「分かった」っていうものが最後のこっているというのは、やはり、最後の被爆者の方々それぞれの気持ちが伝わっているんだと思います。

当然、当時もしかしたら本当に怒っていたかもしれないです。ものすごく悲しんでいたかもしれないです。時間軸の中でそれらが和らいでいくという部分。やはり平和というところに結びつけていくにはいがみ合うっていう部分だけではなくて、時間軸も含めた中でいろんな化学反応が起きて、「優しさ」が少し見えてくると、人に対しても優しくなれて、優しくなれるってことは逆に争いが起きない、争いが起きないってことは平和に近づいていく。そういうサイクルができたらすごく素敵だなというふうには思います。それを何カットかの映画から何かを感じていただければ、これは作った意味があるなというふうには思います。ありがとうございます。

 

【菅田】
ありがとうございます。それでは、門司先生、この点についていかがでしょうか。

 

【門司】
松本監督も言われましたが、ひとつは、長い時間がかかって75年かかったからああいう発言が出てこられたのかなと思います。2つ目には、やはり生き延びた方達が今それなりに幸せであると思って暮らしているからこそああいうことができた、だからこそ「平和が一番だ」ということを非常に強くみなさんが言っていたんだと思います。人間はやはり、恨みつらみ悲しみだけでは生きていけなくて、それぞれの人が毎日いろんな人に囲まれながら日常を送っているわけですから、その日常を積み重ねたことによってあの発言が、感情が出てきているのかなと。いろんな場合にああいうことをなかなか言えない、公では言えないことが多かったかもしれないんですけれども、それを松本監督がうまく引き出して、新たなアングルで僕らに見せてくれたというふうに思っています。だから、時間が必要なんですけれども、その長い時間平和に保たれたということが優しさにつながっているというふうに思っています。以上です。

 

【菅田】
ありがとうございます。それでは、吉田先生からも、お願いできますでしょうか。

 

【吉田】
タイトルを拝見した時、すぐには意味がわからなかったんですね。拝見して、「ああ、こういうことだな」という私なりの解釈はあるんですけれども。印象に残ったのは、アメリカ人との交流の話が、割と長い時間出てましたよね。その一方で、旧日本軍に対する厳しい批判はたくさんありました。結局今は、実際に触れる被爆者の方のお話を聞いてみても、原爆はもちろん最悪の攻撃であったわけですけれども、その前にも長崎は空襲でたくさん被害を受けていて、それで亡くなったり、大変な目にあったりした人がかなりいらっしゃるんですよね。それを数ヶ月経験した後の8月9日だった、ということを語る方は多いです。ですので、被爆体験と同時に、戦争体験というのは重く心の中に残っていらっしゃると思うんですね。なので、とにかく、戦争はダメだと。原爆もだけど。というメッセージが強かったと思います。

その時に、「戦争をやめるためには?」という問いの中で、とにかく「いじめはダメだ」というお話をされた方もいらっしゃって、これってある意味唐突に聞こえる人もいるのかもしれませんが、私の中に非常に秘めたところがあって、やっぱり、物事を縦に見ないというか、自分と違う立場の人、少数者であったり、社会的弱者であったり、いろんな形で対立が、あるいはそういうことが起きることはあると思うんですが、そこを見てみぬふりをしたり、対立に至る小さい間にちゃんと詰んで話をして、平和的に解決して、人権侵害とかね、暴力、果てには戦争にならないようにすることを考えると、身近な戦争も小さな戦争みたいなことだと気づいて、行動して止めるということで意味合いが通底しているお話なのかなということをすごく感じて、そこが、優しく人と対応するとか、放置されている問題を放置しないできちんと見て、平和的に解決するというまなざしでいろいろなものを見るというのがこの映画で語られている「優しさ」なのかなという思いもしましたし、それがもとで今日何回かおっしゃっている、平和の砦を築くという、そういうチャレンジにもつながることなのかなという思いが致しました。

ありがとうございます。

 

【菅田】
ありがとうございます。今、先生もおっしゃってくださったように、被爆者の方々の心のなかの優しさというものの大切さ、その優しさというのは長い時間平和が続いてきたからこそ生まれたものなのかもしれないですが、それと同時にやっぱり体験された方々の心の中に優しさががあったからこそ、平和がまた保たれてきたものなのかなと私自身はすごく感じました。

優しさが平和につながるという考え方は、体験の規模は違うとは思いますが、現在の新型コロナウイルスであったり、いろんな災害であったり、多様性の問題であったり、さまざまな社会の課題というものにつながってくるものがあるように感じます。

 

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次回の記事では、後編をお送りします。


 

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