大丈夫だよー。

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この人、俺のために歌ってくれている、と感じる瞬間がある。

旧友2人と新宿で飲んだ時のこと。終電の時間になっても飲み足りなかった僕は、解散後にひとりで街を徘徊した。地下にあるバーに入り、マスターとフェンダージャパンの新品のギターについて話をした。ゲイバーに入り、ママに「あんたノンケでしょ、臭いでわかる」「二丁目きてショット頼まないなんて、許されると思ってんの?」とすごまれた。お詫びに背負っていたギターで椎名林檎を弾いたら、許してくれた。ちょろすぎる。お前は歌舞伎町の女王にはなれない。

まだ飲み足りなくて、ビルの階段を上がり、別の酒場に転がり込んだ。ホビットの映画でセットにできるくらい、天井の低い店。手前にはバーカウンターがあって、奥にはピアノやドラムが詰め込まれていた。着ていたジャージがサチモスのYONCEみたいだったから、「はい! 僕ギター弾く!!」と宣言して、“stay tune” を弾いた。飲んだくれて真っ赤じゃなかったら爽やかなんだろうな、という見た目のお兄さん達が、ピアノとドラムで加勢して、真っ赤じゃなくても小汚いんだろうな、という見た目のおっさんが「ギターはじめすぎぃ!!!」という訳の分からないヤジを飛ばした。腹を抱えて笑って、そんな気1ミリも無いのに「また来ます!」と言って店を去り、外に出ると午前4時14分だった。

真っ暗だったはずの空は、いつの間にか燻んだ藍色になっていた。僕が東京フライデイナイトを謳歌している間に、神様が空に漂白剤を少しこぼしてしまったみたいだった。乳首と腹を丸出しにした、ぴちぴちピンクタンクトップの小太り男が悠々と目の前を横切った。ああ俺死んだのかな、と思った。天国には極上の果実も絶景の泉もない。代わりにフレディ・マーキュリーを圧縮して腹に小玉スイカを仕込ませたような、ホットでワーオな桃色五十路エンジェルがいて、レザーのブーツから脛毛をのぞかせ僕を誘惑するのだ。

訳もなく夜を明かして、何がしたかったんだろう、俺は。肩を抱き合って歩くカップルとすれ違いながら、あぁ俺またひとりでこんなことしてるな、と心の中で呟いた。帰る家はあるけれど、もっと大きな意味で、俺にはどこにも行くあてがない。何がしたいんだろう。寂しさを紛らわすために、酒を飲んで、はしゃいで、そして一層寂しさを募らせて。いつの間にか、付けていたイヤホンから、ボブ・ディランの歌声が流れていた。

Do you take me for such a fool
To think I’d make contact
With the one who tries to hide
What he don’t know to begin with

何から手をつければ良いのか
分からないでいるようなやつに
俺が声をかけるとでも思うのか
そこまでバカじゃねぇよ

You see me on the street
You always act surprised
You say, “How are you?” “Good luck”
But you don’t mean it

俺のことを街で見かけて
いつも驚いたふりをして
「よぉ、調子どう?」とか「頑張れよ」とか言ってくるけど
本当はそんなこと思ってねぇんだろ

(Bob Dylan “Positively 4th street”(訳は筆者))

ずきずき痛む頭を抱えて、小川町駅から新御茶ノ水駅まで歩いた。巨人が両端を掴んでえいっと引き延ばしたように、永遠に続く地下道。イヤホンからはノラ・ジョーンズの歌声が流れていた。凛とした自信に満ち溢れながらも、誰かの肩にもたれかかっているような、優しい声。風邪の日にジンジャーミルクを飲んだ時のように、ざらついた痛みの奥に、ゆっくりと沁み渡る甘みを感じた。お前はひとりじゃない、と言われている気がした。国籍も、場所も、時間すら飛び越えて、メロディが自分の心に直接沁み込んでくる感覚。最寄駅に着いて地上に出ると、眩い朝日が僕を迎え入れ、寂しさや恥ずかしさ、虚しさを全て包み込んでくれた。

僕の人生には、様々なBGMが流れている。うつ病で入院している時は、ぼんやりする頭にチバユウスケのしゃがれた声を流し込んだ。コロナのせいで虚しい夜は、アレックス・ターナーの囁くような歌声に耳をすませた。いつも、誰かが僕のために歌ってくれていた。

先日、大学の恩師とご飯を食べた。先生は、僕の書く文章を読んでいて、いつも感想を伝えてくれる。赤ワインを飲みながら、「君の文章を読んでいると、大丈夫だよーって言われている気がして、嬉しくなる」と言ってもらえて、ものすごく嬉しかった。そうかもしれません。先生、僕は誰かに大丈夫だよーって言いたくて、文章を書いているのかも。

他人は他人なので、どう転んでも100%理解することなんて叶わない。理解できる、と考えるのは、烏滸がましいことだ。でも、分からないなりに、何かを伝えたいという思いを示すことはできる。支えになることがもしできるのなら、何でもするよ、という思い。しんどいこともあるけど、きっと乗り越えられるよ、心配しないでくれ、という思い。支離滅裂なことを言ったっていい、論理的じゃなくても、矛盾していても、笑い飛ばせば良いじゃないか。笑えない時には、いつの日か笑えるようになるまで、そっとしまっておけば良い。俺を見ろ、こんなに適当なことばかり言って、失敗して反省して、また失敗して、それでも生きている。筋が通っていなくて、情けなくて、それでも、生きている自分。誰かが自らを「これで良いか」と肯定するために、僕の文章が少しでも役に立つのなら、これほど嬉しいことはない。

大丈夫だよ、とたくさんの人に言ってもらった分、自分も同じことを言える存在でありたい。曲を作る才能や、絵を描く才能がない僕にとって、「ああでもない、こうでもない」と頭をひねりながら、文章を紡ぐことこそが、一番しっくりくる方法なのだ。誰かが僕の文章を読んで、「こいつ、俺のために、私のために書いている」と感じてくれたら。そう願いながら、僕は文章を書いている。大丈夫だぞ、それで良いんだぞ。そう叫ぶ代わりに、いつまでも文章を書いていたいと思う。まだ見ぬお前のために、僕は文章を書き続ける。

大丈夫だよー。


 

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