荻原という男

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荻原という男がいる。変な男である。

アメコミにものすごく詳しくて、中学生の頃から原書を購読していた。社会人になってからも、同人誌へアメコミ評を寄稿するなど、常に好きなものに真っ直ぐ向き合う、芯のある男である。自慢の友人である。でも、繰り返すが、変な男である。

理由は特にないが、荻原と2人で熱海に行くことになった。

旅のテーマは、「ダラダラする」。何かと予定を立てて、やることを詰め込んでしまう僕にとって、事前にほぼ計画を立てない旅行は新たな試みだった。熱海でやりたいことはあるか、とLINEしたら、「適当に綺麗な景色見たらあとは温泉入って陸揚げされた深海魚みたいな顔でアイス食いたい」と返事がきた。関係ないが、荻原は鼻が低いと自称しており、ヴォルデモートというあだ名がついている。言われてみれば低い気もするし、別に低くないとも思う。

東京駅で朝9時待ち合わせね、と言い出したのは僕だったが、案の定10分遅刻してしまった。MARVELの長袖Tシャツを着た荻原は、全く腹を立てていなかった。特急踊り子に乗り、熱海へ向かう。熱海駅に着いて、駅前の横丁をぶらぶらした。「住みたくはないけど良い街だな!!」と余計なことを大声で言う荻原を無視して、海鮮づくしのお店に向かった。

店内に入り、日差しが気持ち良い窓際の席に通してもらった。メニューを眺めて、よし俺は海鮮丼にしよう、と思ったタイミングで、荻原が「マグロアボカド丼と、あら汁と、ぐり茶にするわ」とわんぱくなラインナップを突きつけてきた。ぐり茶とは、特殊な製法でできていて、渋みが少ないお茶らしい。ちなみに荻原には、「ガチの抹茶は大丈夫だけど、『抹茶味』のものはムリ。あと、お菓子じゃないのに甘い食べ物は苦手」という、マリー・アントワネットみたいな好き嫌いがある。僕たちの前に丼が運ばれると、マッチョな店員さんが写真を撮ってくれた。「はい、熱海ーーー!!!」という大きな掛け声が店内に響き渡り、凍りつく僕を横目に、荻原は満面の笑みでポーズを決めていた。口の中に広がるトロの脂の甘みと、ご飯を少量残して作る出汁茶漬けの香ばしさで、ほくほくしながら店を出た。荻原は、「いやー美味かった、何が美味いって、アボカドが一番美味かったわ」と上機嫌だった。一旦無視した。

荻原の提案で、来宮神社に足を運んだ。縁結びで有名らしい。境内には、ちろちろと小川が流れていて、木漏れ日に照らされ川面が光り輝いていた。暖かく、少し湿った風が頬を撫で、見渡せば緑の木々。美しい自然に見惚れていると、荻原が「いやーモンハンみてえだな」と呟いた。逆である。モンハンが、自然を真似ているのだ。お参りをして、宿に向かった。

予約していた旅館に着くや否や、真っ先に温泉に入り、疲れた身体を緩めた。楽しみにしていた夕飯は、熱海ならではの海鮮づくしで、2人とも野太い声でキャッキャ騒いでいた。海老の刺身が出てきて喜んでいると、荻原が「海泳いでる甲殻類って大体見た目キモいよな、カブトムシが海泳いでたらエビみたいに食ってたんだろうな」と言い始めた。「食事中にする話じゃねえな」と呟くと、ゲラゲラ笑っていた。少し間を置いて、「俺の母さん、カエル嫌いでさ」と語り出したので、秒速で制止した。カブトムシはダメか、じゃあカエルにしよう、と結論を出す思考回路が理解できない。ご飯の間、女将さんが食器を取り替えに来てくれる度、荻原は綺麗に座り直して、女将さんの目を見て「ありがとうございます」「お願いします」とお辞儀をしていた。こんなに礼儀正しい男だなんて、知らなかった。こいつカッコ良いな、と思ったが、数分前に空豆の甘煮を食べて嫌そうに顔を顰めていたので、思い出せこいつは闇の魔法が使えるマリー・アントワネットだ、と自分を正気に引き戻した。

お腹いっぱいになったところで、荻原がルームサービスのマッサージを受けたいと言った。良いね、俺は隣で本読んでるわ、と返し、部屋の隅に陣取った。しばらくすると部屋に老婆が来た。80歳だと言っていた。部屋に敷かれた布団に横たわる荻原の身体をちょこちょこと触りながら、永遠に荻原に話しかける老婆。活字を目で追っていたつもりが、老婆と荻原の会話に意識を奪われていく。「本当はこのツボ、人に教えないんだけどね。イケメンだから教えちゃうね」と囁かれている。

「ほら、背中のここ、自分では触れないでしょ、ほら」

こいつ、80歳の老婆に誘惑されてやがる。しまいには、「あたしね、今こんなだけど、昔は胸が110あったのよ」と囁く老婆。不退転の覚悟で、55歳差の壁をよじ登り、僕の友だちを食おうとしている。止めるべきか。割って入るべきか。いや、下手に遮ったら、俺の骨が2、3本砕け散るんじゃないか。迷う僕の真横で、老婆はマッサージを続ける。

「ほら、ねえ、気持ち良いでしょ」
「アッハイッ」

荻原お前どこから声出してるんだ、と思っていたら、施術が終わり、老婆は名残惜しそうに部屋を出ていった。荻原は、そのままスマホをいじり、寝落ちした。次いで僕も寝た。

目が覚めると、まだ熱海にいた。夢じゃないらしい。魚介たっぷりの美味しい朝ご飯を食べて、少しずつ頭もシャキッとしてきた。荻原が「昨晩はお預けでしたねえ・・・」とニヤニヤ話しかけてきたので、ものすごく無視した。2日目の予定は全く決めていなかったが、とりあえずスパに行き、サウナに入ることにした。荻原は、サウナにほとんど入ったことが無いらしい。旅館を後にし、15分ほど歩いてスパ目前まで来たタイミングで、旅館から僕のもとに電話がかかってきた。

「お客さん、長袖Tシャツの忘れ物がありますよ」
「えっ、そのTシャツ、胸に赤い四角があってアルファベットでMARVELって書いてありますか」
「はい」

こいつだ。荻原に伝えると、「えーマジか」と驚いている。部屋を出る時、「忘れ物ない?」と僕が聞いたら、全力で「ないっ!!!」と答えていたお前は、何だったんだ。荻原は、旅館にTシャツを取りに帰ることになった。僕は、10年来の大切な友人と、美しい海を眺めながら心と身体を癒す極上のサウナ体験を頭の中で天秤に載せた。ミニ荻原を左手の台に載せ、右手の台にトングで掴んだサウナストーンの1つ目を載せた瞬間、右手の台はガコオオンと沈み込み、反動で荻原は天空へ吹っ飛んだ。ミニ荻原が雲の彼方に消えるのを見届けて、僕は隣のリアル荻原に「じゃ、俺先スパ行くわ」と伝え、解散した。

温泉と露天風呂、サウナを一通り満喫して、休憩スペースでゴロゴロしていると、荻原からLINEが来た。荻原も一足遅れてスパを堪能し、休憩スペースにいるらしい。立つのがめんどくさくてゴロゴロしていると、顔を上げた先にサーティーワンのカップを持った荻原が立っていた。陸揚げされた深海魚のような顔をしていた。2人で並んでアイスを食べていると、荻原が「サウナ入った?」と尋ねてきた。うん、と答えると、荻原はまだサウナに入っていないと教えてくれた。「一緒に入ってくんね?」と、小学生のトイレ休憩みたいなことを言ってきたので、全然良いけどなんで、と尋ねると、「出るタイミングが分からないから」と訳の分からない理由を突きつけてきた。アイスを食べた後、一緒にサウナに入り、荻原を置いて出てきた。

帰りの特急の時間が近づいてきたので、駅に向かった。昨日に引き続き、荻原は「30年前に栄えたみたいな街だな!!」と余計なことを言っている。賑やかな街道を歩いていたら、大学時代の恩師から電話がかかってきた。ん、廃校か?と慌てて電話を取ると、いつもの暖かい声が聞こえてきた。「ねえねえ、後ろ向いて!」後ろを向くと、少し離れたところから、先生が満面の笑みで僕に手を振っている。こんなことがあるんだな、と嬉しくなった。友人と来たんだけど、こんなとこで会うなんてびっくりしたよ、と話す先生に、一応荻原を紹介した。初対面の先生に「マンダロリアン好きですか?」とか質問しそうでソワソワしていたが、荻原は丁寧にお辞儀をしていた。相変わらず、礼儀正しい男だ。

駅に着き、トイレに向かった荻原を置いて、先に特急に乗り、5列目の通路席に座った。荻原から、「俺乗ったけどどこにいる」とLINEが来て、「俺も乗ってるよ」と返した。荻原が見当たらない。きょろきょろしたら、僕は10号車にいることに気づいた。予約した席は1号車である。トトロの曲を頭の中で流しながら、通路をずんずん歩いて列車の端にたどり着くと、荻原が熱海プリンを食っていた。安心して、席に座り、すぐ寝た。東京駅に着いて、キャラクターストリートを見てから帰りたい荻原と、代々木で用事があった僕は、明日また会うかのように「ありがと、お疲れー」と解散した。

明日荻原に会う予定はないし、会うのはだいぶ先になるかも知れない。でも、また会いたい、と思う。最初から最後まで、僕は荻原にことごとく無慈悲だったが、それでも仲良くしてくれる荻原に感謝している。

荻原は偉大である。荻原は変な男である。

あと、荻原はカッコ良い。

(終)




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