祖母が遺した戦争の記憶

昨年10月にたまたま訪れた熱海港。初島に向かう船に乗る前の1枚。
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世界情勢が混迷を極める中、とても久しぶり(約6年ぶり!)にVoYJに投稿してみようと思いました。5年前に他界した祖母が書き残した手記です。祖母は、趣味で参加していた俳句の会に投稿するためにこの文章を書いたのですが、祖母の想いや経験をできるだけ多くの人に読んでもらいたいと思い、オンラインプラットフォームであるVoYJにも投稿することにしました。

 

祖母の手記(2020年執筆)

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 85歳ともなれば、戦争体験のある世代です。私たちは小国民と呼ばれ、将来の国をみすえて大切に扱われました。都会に住む者は縁故疎開で地方にちらばり、つながりのない私は学童疎開にゆきました。兄は富山県氷見、私は静岡県熱海でした。お宮の松のある通りに面した旅館に私たちの小学校と隣の地域の小学校の二校が合同で入りました。親と離れる悲しさで、涙を流す子もいましたが、私は、知らないところへ行くのが嬉しくて遠足気分でした。

 初島が正面に見え周囲の旅館は学童疎開と傷病兵でうまっていました。夜半に空襲があり、防波堤のある広場の深い溝の中に布団をかぶって身をひそめていたことが何度かあります。私たちの日常の世話をして下さった寮母さんには、寝るときは、暗い中でも友達のものと間違えることのないように服をキチンとたたんで自分の枕元に置きなさいと教えられたのが、その都度心に沁みました。近所の山へ薪取り、梅園へ遠足、十国峠のススキの中を歩きました。

 それから、艦砲射撃を受けると危ないということで、岩手に再疎開。親とは屋根のない品川駅のホームで、手を振って別れ、汽車は出ました。岩手の北上川上流の畑の中のお寺さんにゆく予定が、準備が出来ていないということで、村の家に友達2人ずつで泊まり、三食面倒をみてもらいました。家族と同じように扱ってくださった方々に感謝しています。トイレは外にあったので夜の用足しは怖かったです。お寺に引越をして本堂にかかげてあった地獄絵図を見つけたときは怖かったです。

 そして終戦。家に帰ると、親たちは品川区大井町の親戚の家を借りて商売を続けていました。私たちの学校は丸焼けで校舎がなく、大田区役所の隣にあった小学校まで満員電車で通いました。大井町駅の駅前にあった学校では、青空教室で子供達が勉強し、そのことは新聞に報道されていました。学年1教室の学校が建ち卒業写真は校庭で撮りました。中学から男女共学になることを嫌い、私は女子校の中学に進学し、高校は女子校だったので受験をしました。ところが戦後の学制で共学になったことを知らずに、進学したら男子学生がいて驚きました。

ペンネーム チョコさん

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私の祖母はよく戦争について語ってくれました。といっても、母によると、疎開先で食料が不足していたり酷い扱いを受けたりする子どももいた中、祖母の疎開先は当時としては非常に恵まれており、受け入れ先の方が優しく迎え入れてくれ、食事もしっかり食べさせてもらっていたようです。そのためか、上記の手記でも祖母自身が非常に辛い思いをしたといったことは書かれていません。

しかし、だからこそ、日常の中に戦争が存在していたことがわかると思います。小学生で家族と別れ二度にわたって疎開したこと、学童疎開と傷病兵で埋まる旅館、空襲から逃れるために布団を持って深い溝の中に身を隠したこと、終戦後に戻ったら丸焼けになっていた小学校の校舎……

 

祖母が生きているときにもっと戦争の話をしっかり聞いておけば良かったと思います。祖母からは「夜寝る前に服を畳んで部屋を整理しておくように」「ご飯粒は残さず食べるように」「水を出し過ぎないように」といったことをよく言われていました。正直そんな祖母の小言がうるさいなと思うときもありましたが、それらは全て戦争体験に基づくもので、いつ空襲が来てもすぐ逃げられるように服は常に畳んで枕元に置いておく、限りある資源を決して無駄にすることなく使う、といった考えから来ていました。

 

少し調べてみると、熱海市のホームページに、戦時下の熱海市が、東京からの学童疎開を受け入れていたことが書かれていました1)。祖母が当時住んでいた「大森区」の学童の疎開先であり、また、祖母の手記のとおり、熱海市の疎開学童は東北・北陸などに再疎開していったとのことです。

 

このように戦争の記録が残されていることに感謝するとともに、今を生きる私たちは、過去の戦争が何をもたらし一体何を残したのかに向き合い、二度と同じような悲劇を繰り返さないようにしなくてはいけないと強く思います。

 

今、第二次世界大戦を経験した世代の方々が少なくなり、戦争への危機感や恐怖感が薄れていると感じます。その背景には、複雑な地域情勢の変化も関係していることは理解しています。しかし、私たち一人一人が、過去の戦争で一体何が起きたのか、もう一度見つめ直す必要があると思います。

 

一刻も早く世界に平和がもたらされ、これ以上悲惨な戦争が起こらないこと、そして、今を生きる私たち自身が平和の大切さを忘れず、未来へつないでいけることを切に願って、この投稿を締めくくります。

なお、お名前を出すことは差し控えますが、この手記を祖母が俳句の会に投稿したときに手書きのものからWordに書き起こしてくださった主宰者の方にこの場を借りて感謝申し上げます。

 

ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。


1)https://www.city.atami.lg.jp/kosodate/shogaigakushu/1011165/1006016/1009091/1013053.html

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