自分を「愛する」ということ

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“If you can’t love yourself, how in the hell are you gonna love somebody else?”
(自分を愛せなきゃ、どうやって他の人を愛せるの?) 

私がこの発言に出会ったのは最近のことですが、これを聞いた瞬間、「私の生き方はこうでありたい」と思いました。

 

早速ですが、皆さんは自分を「愛する」と聞いてどのようなイメージを思い浮かべますか?

「重要なことだ」と頷いてくれる人もいれば、「自己中心的」「ナルシスト」「自分勝手」等々マイナスなイメージを持つ人もいるでしょう。もちろん、自分を「愛する」ことに抵抗感をおぼえることもあるでしょう。ただし、勘違いしてほしくないのは、「自分を」愛することと、「自分だけを」愛することは異なるということです。後者は、それこそマイナスなイメージである「自己中心的」「ナルシスト」とつながります。それは自分「だけ」と愛する対象を限定することで、自分が他より優位に感じる錯覚を起こすからではないでしょうか。では、前者はどうか。私は自分を「愛する」ということは自分の行動の大きな原動力になると考えます。

 

自分を「愛する」という行為はどういうものか。

まずは、自己分析をしたのちに、自分の「長所」も「短所」も全て受け入れることから始まります。「長所」や良いところを受け入れることは簡単かもしれません。ただ、多くの場合、自分の「短所」を受け入れることに苦労します。この「短所」は様々なものを含みます。自分の欠点だけではなく、他の価値観からしたらマイナスな方向に並外れていること、異なること、癖となってやめたくてもやめられないこと、今まで失敗したこと等も含みます。これらのことを発見すると、多くの場合、それをなくすこと、排除することに集中してしまいます。ですが、一呼吸おいて、それらを含めて、「自分」なのかもしれない、と考えてみましょう。「完璧」な人間なんていないし、自分が「完璧でなければならない」というプレッシャーも振りほどいてみましょう。時間はかかるかもしれませんが、今までよりもずっと心が軽くなると思います。

 

さて、「長所」も「短所」も受け入れると、自分の行動や未来を、他の誰でもなく、自分の満足のいくようなものにしたくなりませんか?なんせ、自分の人生を歩んでいるのは自分自身なのだから。そしてここで重要なのが、「他の誰でもなく」ということになります。「自分で行動や未来を決める」ということは、「他の人に責任はない、自分が責任を担う」ことになります。つまり、責任転嫁ができない。その分だけ、自分で真剣に悩んで「自分で決める」という行動につながるのではないしょうか。そして、「自分で決めた」行動をしたら振り返りも必要になります。「ここはよかった」「ここは失敗した」というもの、全てを抱擁しましょう。そうすると、自分の血となり肉となり、自分に自信をもって人生を歩めるのではないでしょうか。

 

突然ですが、私は友人と話をするとき、「自分の人生は薔薇色」と言います。もちろん、機会に恵まれて事がうまく転ずることもありますが、だからと言って本当に「薔薇色」なわけではありません。失敗したことや落ち込んだこと、悔しくて泣いたこと、「薔薇色」と呼べないこともたくさんあります。ですが、それらを「薔薇色」にする、つまりそれらの辛かったことを投げ出さず、自分のものとして抱擁し、自分の「経験」とすることで自分を「愛せる」ことになると思います。だから、「簡単に自分の人生について語れ」と言われたら、「自分の人生は薔薇色だ」というように話せるのだと思います。一つ一つの経験に自分なりに価値をつけていくだけで自分自身の人生の振り返り方が変わると思います。

 冒頭の発言に立ち返るようですが、自分を「愛する」ことができれば、人を愛することを知る気がします。だから、他人も自分と同じくらい大切にすることをおぼえるのではないでしょうか。したがって、心の中で唱えてみることにします。

 

If you can’t love yourself, how in the hell are you gonna love somebody else?

 


 

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