アセクシャルの私が思う「愛」のこと

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こんにちは。

突然ですが、私はアセクシャル(Asexual)を自認する女性として日本で生活しています。

 

アセクシュアルが何かご存じない方はこちらをご覧ください。

 

https://jobrainbow.jp/magazine/asexual

 

つまり私は今のところ、「他者に対して恋愛感情も性的欲求も抱かない」女性として生きているわけです。

 

「まだそういう人に出会ってないだけだ」と何度か言われたことがありますが、本当に、「他者に恋愛感情や性的欲求を持つ」自分が想像もつかないし、なる予感もせず、なによりアセクシュアルという説明がとてもしっくりきているのでこのように自認しています。

 

しかし今回のテーマはアセクシュアルやLGBTQ+についてではなく、「恋愛感情」を持たない、いわば愛から最も無縁な存在のようにみえる私の立場から「愛」についてのお話をさせてください。

 

アセクシュアルを自覚した(知った)のはほんの最近で、これまで何度も男性と付き合ってみたり女性との恋愛を試みたりしたものの常に違和感があり、恋愛的な感情—周囲が話題にするときめきやドキドキ感、他とは違う感じ—や他者に対する性的欲求を全く理解できなかったため、「私は感情が欠けた人間なのかな」と虚しく思うこともありました。また、周囲に「好きな人がいる」と嘘をついたり偽って相談したりすることも多かったです。真剣に相談に乗ってくれた方々ありがとうございます。心からごめんなさいと言いたい。

 

そのため、アセクシュアルという存在を知ってすぐこれだ!と直感したときは、自分のアイデンティティを一つ見つけた気がしてとても安心しました。

 

実生活で何かが変わったかというと特に何もないのですが、だいぶ気が楽になったような感じはします。

 

では私が世の中の人間と出会ったときにどのように感じるかというと、ただ「人間だなあ」と思います。

私にとっては女性も男性も恋愛・性的対象にならないため、「素敵な人だなあ」という感情は友人やモノに対する「素敵だ」という感情と同じで、「この人好きだなあ」という感情も友人やモノに対する「好き」という感情と同じである、ということです。

 

アセクシュアルに対する誤解の一つに「人を愛せない寂しいor冷たい人間だ」というものがありますがそれは偏見で、私はちゃんと人を愛することができます。ただその感情が友情や信頼に基づいたもので、恋愛・性的感情に基づいたものではないというだけのことです。(個人によって違うのかもしれませんが。)

 

そして、私は自分が恋愛感情を持たないせいか「愛」について幼いころから考え悩まされ続けてきました。いったいそれはなんだろう。

 

「愛」が偉大なものであることは言うまでもないと思います。

 

古今東西のあらゆる哲学者が愛について語ってきたし、世の中には愛を扱った音楽や映画で溢れかえっています。

 

私たち人間はどこに住んでいてもどのようなバックグラウンドを持っていても、ありとあらゆる形の愛を共通してもっています。

しかしそれらの多様性が、急速に減ってはいないでしょうか。

そして、「恋愛」だけが生き残っているような気がするのです。

 

今を生きる人々は意識的にも無意識的にも、愛には恋愛感情(他者にときめいたり一緒にいたいと思ったりすること)が必要不可欠で、その先にのみなにか大きなもの—例えば真実の愛と呼ばれるようななにか—があるのではないかと信じ切っています。そしてそこにはセックスが常に存在しています。愛から恋愛感情や性的欲求を切り離せないのです。

 

恋人の有無や結婚、性生活の満足度は確かに、人々の幸福度に大きく関わっているといえるでしょう。しかし、なぜ恋愛だけが特別視されるのでしょうか。

なぜ、人々は自分を幸福にしてくれる愛が「恋愛」だけであると信じ続けているのでしょうか。

 

「家族愛」という言葉がありますが、これでさえ元となっているのは親(パートナー)同士の恋愛感情なのだという考えが前提にあると教えられるし、「母性愛」もフェミニズムの発展により否定されつつあります。

他者に対する「慈愛」の心はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 

確かにこれまで、名称だけの「愛」が独り歩きし多くの問題を生んできました。

例えば「家族愛」は親族の介護や育児の押し付けの理由につながるし、「母性愛」も然りです。このような殺伐とした、食うか食われるかの世の中で「慈愛」を大切にする余裕なんてないのかもしれません。

 

しかし神格化されがちな「恋愛」もこうした愛のうちの一つであり、何かが特別なわけではありません。

 

***

 

古代ギリシャでは、社会には様々な形の愛があり、いい社会とはその様々な形をした愛の違いを表す言葉をもつものである、と考えられていました。

 

そしてそこでは恋愛感情や性的欲求は様々な「愛」の一つに過ぎない、と明確に定義されています。(詳しくはこちらの動画をご参照ください。)

 

この社会にはたくさんの愛の形があります。これらは本来何かを人に押し付けるわけでも、強制するものでもありません。恋愛はそれらの愛のうちの一つに過ぎず、また愛に「恋愛感情」や「性的欲求」が必要だと考えることはナンセンスです。

 

私は決して博愛主義者になれだとか、マザーテレサのように生きなさいなどと主張したいわけではありません。(もし皆がそれをできたら素敵でしょうけど、)もちろん私を含めた人間は、欲ありきの存在です。完全無欠な神様にはなれません。

 

ただ愛は人の心の深奥から自然と生まれるものであり、人間関係の基本であり、人々がよりよい社会を作るためには必要不可欠なものです。

 

恋愛だけに囚われた状態から抜け出し様々な愛の形を考え直すことが、今の社会をよりよいものにする一つのきっかけとなるのではないでしょうか。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 


 

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2000年生まれ、専攻は政治学。古代ギリシャが好き。放浪癖があるのでたまに消えることがあると言われます。